子どもといのちの教育研究会


なんというか、へヴィーな一日だった。
朝の3時までやってようやくレジュメ完成。
発表は昼からだったが、朝から学会のお手伝いがあったため、ぼんやりしたまま家を出る。


学会というと、発表があるとないとではかなりコミットメント具合が変わってくる。
今回は、発表があったので相当気軽でない。
ただし、発表がなくて参加するのもなにか物足りない気がしてくるのもうそではない。
最近ではようやっと学会発表に対して自然に質問するようになったが(以前は質問するのもかなりのプレッシャーがあった)、やっぱり自分も質問もらう立場になければつまらないとも思ってくるようになった。
以前、哲学のある先生の授業を受けていたら、「私はMです」とか言いだし、「すわ、いきなりヘキの話ですか!?」と思った記憶がある。


なんてことはない。


学者は自分の意見を批判されてなんぼだ、批判を受けるのは自分の為になるんだ、ということをかなりの誤解がある感じでおっしゃっていただけであった。
こう考えると、ようやくMっ気が出てきたのか自分、とか思ってきたりしている。



朝は学会長の貴重なご講演。
レジリエンス自尊感情」。
いかに社会的自尊感情(認められ、見つめられることによって膨らむもの。他者との比較により相対的な優劣による感情
)と基本的自尊感情(体験と感情の共有することの繰り返しで和紙を重ねていくように形成される。比較ではなく絶対的な無条件な感情)のバランスが大切かということを図入りでわかりやすく解説されていた。
途中の記憶がありませんが…。


昼に自分の発表。
「地域性と道徳教育―沖縄県下の道徳教育指定校の調査から―」
聞きに来ていただいた方は、ほとんど顔見知り(ありがたいことです)。
持ち時間60分なんてもらったことないので時間配分わからず。
パワーポイントでの報告も初めてなので、要領を得ず。
ってか現代の教育に関することも初めてだったので、完全に質疑応答でパニクる。
結果、なんとももったいない60分になってしまいました。
非常になめてましたね、過信してましたね、社会的自尊感情がしぼみましたね。


次は他のラウンドテーブルの司会をする。
高校の宗教科の先生の実践報告およびアンケート調査の報告ということで、かなり期待していたが期待以上だった。
10人くらいのラウンドテーブルだったので、本当にテーブルを輪っかにしてざっくばらんに意見を言い合う。
宗教科の授業は実際にどんなことをしているのか、いのちの教育とどんな関係があるのか、など司会業を吹っ飛ばして自分の質問をしまくった。
これがいけなかったらしい。
のちに、一緒にラウンドしていた上司の先生から、「司会は自分の関心でものを言うのではなく、ちゃんと発表内容と違う視点からの質問しなけりゃだめだよ〜」と注意を受けた。
枠組みを変えての質問をして、あらたな議論の場を作る必要があるとのことだった。
またしても社会的自尊感情がしぼんでいった気がする…。
しかし、このご指摘が今回の学会参加の一番の収穫ですな。


最後に即興劇の先生によるワークショップ。
これが非常に面白かった。
はじめに、鬼ごっこ
鬼は一人で、捕まえられそうになったら近くの人と手をつなぐことにより捕まることを回避できるとのこと。
しかし、回避できる時間はたったの5秒。
すぐに違う人と手をつながなければならない。
周りの人は捕まりそうな人に救いの手をさしのべなければならない。
どれだけ人に自ら関わっていけるか、ということを文字通り体で体験するものだ。
自分はなぜか一番最初に目をつけられ、逃げ回るが、まだゲームの趣旨が行き渡ってない(場が暖まってない)ので、他人の手を欲するがみんな逃げ出すばかり。
かなりさびしい思いをした。
なるほど、これが無縁社会


10分くらいやって、みんな体が動いてきた後にいろいろワークをした。
一番印象的だったのは、相手の言うことを一度受け入れてそれから自分の言葉を話すというワーク。
たとえば、「yes→and」
「今日は月がきれいですね」といわれたら「そうだね(yes)、そして(and)ウサギまで見えそうだよ」みたいなことを一語ずつ返していくものだ。
他に「yes→because」「yes→but」などいろいろあった。


この即興のやり取りは、シナリオがない即興劇の基本であり、なんとかして相手の想いを組むという心情にならないと話は進んでいかないんだそうな。
瞬発力が求められると同時に、ボキャブラリーや機転が必要で、後半は脳のどこかがずっと稼働していていたかった。
普段使わない脳の部分なんだろうなとリアルに感じた。


夜は懇親会。
うちの大学の関係者でワインを独占し、余ったビールももらい、2次会に流れ、結局2時まで。
頭も体も肝臓も使い切った1日でした。