宗教文化士受験迫る
久しぶりにブログ書きます。
なぜか。
現在、わけあって一人暮らしだから。
さて、宗教文化士という資格を得るために現在勉強中である。
資格の受験勉強など、中学3年の時の英検3級以来か。
今まで生きてきた半生の半分も前の話だ。
そのときもろくに勉強せずに、ただ皆と一緒に受けようぜ、合格したらみんなで遊ぼうぜ、みたいなノリだったなぁ。
受験票に貼り付ける証明写真1枚撮りに行くのにも、近くの某ダイエーに気持ち悪いくらい大勢で行ってた気がする。
今思えば英検3級ごときでよくぞそこまで盛り上がれたというのだから、中学生はすごいものである。
とかいいながらも、今回もみんなを巻き込んでしまって、しかも受験終わったら渋谷のどこで飲もうかとかしか考えていないという。
変わっていない現実に驚きを隠せないが、仕方のないこととあきらめることとする。
嗚呼、緊張する。
そして、見事に脳が動かない。
だから、こんな感じでブログ執筆に逃げているわけだが…。
子どもといのちの教育研究会
なんというか、へヴィーな一日だった。
朝の3時までやってようやくレジュメ完成。
発表は昼からだったが、朝から学会のお手伝いがあったため、ぼんやりしたまま家を出る。
学会というと、発表があるとないとではかなりコミットメント具合が変わってくる。
今回は、発表があったので相当気軽でない。
ただし、発表がなくて参加するのもなにか物足りない気がしてくるのもうそではない。
最近ではようやっと学会発表に対して自然に質問するようになったが(以前は質問するのもかなりのプレッシャーがあった)、やっぱり自分も質問もらう立場になければつまらないとも思ってくるようになった。
以前、哲学のある先生の授業を受けていたら、「私はMです」とか言いだし、「すわ、いきなりヘキの話ですか!?」と思った記憶がある。
なんてことはない。
学者は自分の意見を批判されてなんぼだ、批判を受けるのは自分の為になるんだ、ということをかなりの誤解がある感じでおっしゃっていただけであった。
こう考えると、ようやくMっ気が出てきたのか自分、とか思ってきたりしている。
朝は学会長の貴重なご講演。
「レジリエンスと自尊感情」。
いかに社会的自尊感情(認められ、見つめられることによって膨らむもの。他者との比較により相対的な優劣による感情
)と基本的自尊感情(体験と感情の共有することの繰り返しで和紙を重ねていくように形成される。比較ではなく絶対的な無条件な感情)のバランスが大切かということを図入りでわかりやすく解説されていた。
途中の記憶がありませんが…。
昼に自分の発表。
「地域性と道徳教育―沖縄県下の道徳教育指定校の調査から―」
聞きに来ていただいた方は、ほとんど顔見知り(ありがたいことです)。
持ち時間60分なんてもらったことないので時間配分わからず。
パワーポイントでの報告も初めてなので、要領を得ず。
ってか現代の教育に関することも初めてだったので、完全に質疑応答でパニクる。
結果、なんとももったいない60分になってしまいました。
非常になめてましたね、過信してましたね、社会的自尊感情がしぼみましたね。
次は他のラウンドテーブルの司会をする。
高校の宗教科の先生の実践報告およびアンケート調査の報告ということで、かなり期待していたが期待以上だった。
10人くらいのラウンドテーブルだったので、本当にテーブルを輪っかにしてざっくばらんに意見を言い合う。
宗教科の授業は実際にどんなことをしているのか、いのちの教育とどんな関係があるのか、など司会業を吹っ飛ばして自分の質問をしまくった。
これがいけなかったらしい。
のちに、一緒にラウンドしていた上司の先生から、「司会は自分の関心でものを言うのではなく、ちゃんと発表内容と違う視点からの質問しなけりゃだめだよ〜」と注意を受けた。
枠組みを変えての質問をして、あらたな議論の場を作る必要があるとのことだった。
またしても社会的自尊感情がしぼんでいった気がする…。
しかし、このご指摘が今回の学会参加の一番の収穫ですな。
最後に即興劇の先生によるワークショップ。
これが非常に面白かった。
はじめに、鬼ごっこ。
鬼は一人で、捕まえられそうになったら近くの人と手をつなぐことにより捕まることを回避できるとのこと。
しかし、回避できる時間はたったの5秒。
すぐに違う人と手をつながなければならない。
周りの人は捕まりそうな人に救いの手をさしのべなければならない。
どれだけ人に自ら関わっていけるか、ということを文字通り体で体験するものだ。
自分はなぜか一番最初に目をつけられ、逃げ回るが、まだゲームの趣旨が行き渡ってない(場が暖まってない)ので、他人の手を欲するがみんな逃げ出すばかり。
かなりさびしい思いをした。
なるほど、これが無縁社会。
10分くらいやって、みんな体が動いてきた後にいろいろワークをした。
一番印象的だったのは、相手の言うことを一度受け入れてそれから自分の言葉を話すというワーク。
たとえば、「yes→and」
「今日は月がきれいですね」といわれたら「そうだね(yes)、そして(and)ウサギまで見えそうだよ」みたいなことを一語ずつ返していくものだ。
他に「yes→because」「yes→but」などいろいろあった。
この即興のやり取りは、シナリオがない即興劇の基本であり、なんとかして相手の想いを組むという心情にならないと話は進んでいかないんだそうな。
瞬発力が求められると同時に、ボキャブラリーや機転が必要で、後半は脳のどこかがずっと稼働していていたかった。
普段使わない脳の部分なんだろうなとリアルに感じた。
夜は懇親会。
うちの大学の関係者でワインを独占し、余ったビールももらい、2次会に流れ、結局2時まで。
頭も体も肝臓も使い切った1日でした。
高校生の生活圏
うちのカミさんが仕事が休日ということでガヴァっと漫画を大人買いしてきた。

- 作者: 咲坂伊緒
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/11/22
- メディア: コミック
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話のあらすじとしては、主人公の普通で天然な女子高生がクールで大人っぽくてめっちゃモテる男子高生に恋をして、他の男子高生から好かれるも、やっぱり一途に片思い。クールな男子高生は男子高生で、付き合っている彼女との葛藤に苦しむ。周囲の友達はみんなやきもきするも、共に学校行事を重ねていくうちにどんどん親密になっていく。しかし、親密になっていくと元カレとか元カノが登場し話を振り回すのを繰り返す…、という感じでしょうか。
読後感は、「高校生の生活圏って狭いなぁ…、って自分もそうだったか」と「主人公はだんだん影が薄くなっていくな」というものでした。
基本的に高校生は、経済的にも時間的にも社会的にも学校という単位を抜け出すことは、特殊性がないと難しいのだろう。
田舎の高校に通っていた自分にとって、学校から抜け出すということ自体脳裡になかったわけで。
こういう少女漫画は、最初は主人公とその想う人中心に話は回っているが、周囲の人間が増えてくることによって周囲のサイドストーリーが多くなって、主人公とその想う人の影が薄くなっていく傾向にあるんだけど、たぶんこれもそう。
で、結局読み手はどちらかというと報われない主人公以外のキャラに感情移入してしまう。
『天使なんかじゃない』がその典型じゃないだろうか、マミりんの方がキャラ的に立っていたり。
『君に届け』なんかは、周囲の人間が極力自分勝手に動かないようにしているから、主人公である爽子のキャラが立って、面白いんだろうなと。
まぁ今回の話の主人公とその想う人がかなりの天然だったので、周囲の人間が狂言回しとして必須なため、必死になっている方に感情移入してしまうのは当然なんですがね。
少女マンガとしては面白いし、王道だと思いました。
ただ、主人公が想っている人がなぜデフォルトで主人公を好きなのかがわからなかった…。
近世仏教堕落論批判
朝の6時まで原稿作り。
なぜなら、今日は自主勉強会があったから。
自分で主催しておいて、自分の原稿ができていないのは、さすがにこれからの沽券にかかわる由々しき問題なので、なんとか作った。
こんな調子が最近続くので是正したい…。
今回読んだのは、これ。

- 作者: 西村玲
- 出版社/メーカー: トランスビュー
- 発売日: 2008/05/02
- メディア: 単行本
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近世仏教はもちろんのこと近世のことをやるのも初めてだったので最初は戸惑ったが、読みやすい文章だったのでなんとか読破。
今回のは、仏教の専門用語が多かった。
ここで、まさか修行のときの授業(かなりの耳学問、しかも睡眠…)が役に立つとは。
眠いながらも、ってか半分以上寝ていながらも、専門用語とそれにまつわる話を聞いていたらしい。戒の話や、法の話など。
近世仏教は辻善之助以来堕落していたと論じられてきたが、本当にそうだったのか、思想的にはじっさいどのようなものだったのか、という先行する研究の穴を突いた著作であった。
自分も思想史寄りの研究をしているので、解釈や論理展開の持っていき方など非常に勉強させられたことが多かった。
近代で目覚める精神主義的仏教理解が実は近世社会の律僧による大乗理解が系譜であったことには、読んでいて驚きの連続だった。
研究会は大学が閉まっていたのでガストで行った。
終了後はそのまま昼食とダラダラトーク。
なんともまぁ、あの女子高生かわいいとかスカート短いとか、高校生みたいなトークで2時間も話していたものよ…。
ヤフコメを見ての感想
自分の趣味はyahooのみんなのコメント(通称ヤフコメ)を巡回することである。
ここの意見は、非常に偏った意見である意味興味深い。
自分は、政治・政局マニアである。
なんか、昔からそういったものには興味があった。
なので、今回はヤフコメにおいて政治に関する思ったことを述べたいと思う。
(ちなみに、ノンポリを自認するつもりはないが、現在支持政党なしである)
ヤフコメをみて思うこと、それはヤフコメを利用している人たちにとって、好きな政治家嫌いな政治家がきちんと順位つけられているということである。
しかしこの順位は、2年間に渡ってヤフコメを見てきての印象論に過ぎないことを断わっておく。
今回は、「そう思う」の順位だけでどの政治家が嫌いかということを述べたい。
匿名の記述において、「好き」よりも「嫌い」の方が顕著に表れる。
それは、匿名における攻撃性が表れていると思う。
この2人は別格に批判されている。
小沢議員は「政治とカネ」問題、鳩山議員は「首相時代の迷走」問題以前に本当に感情的にヤフコメ住民に嫌われていると思う。
なぜかと住民に聞いても答えは出ていないだろう。
ただ感情の問題である。
この2人も感情的に嫌われているといえよう。
しかし、ヤフコメ住民から嫌われている大関2人であるが、横綱と比較されると横綱の方が批判の的になり、大関の2人がやっていることはエポケーされるのが特徴である。
東関脇 与謝野経済財政相
西関脇 輿石参議院議員会長
与謝野議員は、最近の行動がもっぱら批判されている。
それは、信念を曲げて入閣したから、ではなく、単に民主党と与したから、という理由が大きい。
輿石議員は、ヤフコメ住民が嫌いな日教組の重鎮だから、というのが大きい。
と、今回はここまでにしておく。
基本的に民主党・社会党の議員は叩かれ、自民党や保守系の議員は叩かれることはない。
個人的な意見として、ヤフコメは即刻廃止すべきだと思う。
匿名性を良いことに、かなり偏りがあるにもかかわらず、日本で最も影響力のあるポータルサイトの一つであるyahooでやるのは、yahoo自体の責任が問われかねないと思うからである。
yahooとしては、場所を提供しているだけだというかもしれないが、それではなぜコメントを書きこめる記事と書きこめない記事で分けているのか、という説明が求められるかもしれない。
そこにかなりの恣意性を感じるのは自分だけでないだろう。
本記事はかなり政治的に突っ込んだ話になったが、自分はこのヤフコメでの意見はあまりにも感情で言い過ぎていて、それにも関わらず影響力があるだろうから、看過できないと感じている。
初! 現代研究
急な話ですが、2月26日土曜日の子どもといのちの教育研究会で研究発表することになりました。
タイトルは……、えっと…、「地域性と道徳教育―沖縄県下の道徳教育指定校の調査から―」。
http://inochimanabu.blog59.fc2.com/blog-date-20110129.html
歴史研究しかしない自分には、初めての現代研究の発表で、なんともまぁ無謀に近い。
「地域性」、「道徳教育」、「沖縄」、「調査」、すべての属性が初めての挑戦。
あと1カ月切ってますけど…。
画像とか映像とか使いながら、なんとか60分乗り切るしかない。
というわけで、調査に行ってきます。
2月6日〜10日。
今度は秋口に行きたい。
論文提出
今日は、芝の研究所で、林淳先生の近代仏教に関する御講演「近世仏教から近代仏教へ」をうかがった。
ためになったのはもちろんだが、近代仏教も過渡期というか、なにが近代仏教研究の醍醐味なのかということを意識して行かないといけないと考えさせられた。
近代における仏教は、国家から切り離されたと表面ではみえるが、実は国家がやれなかった/やらなかった周辺的な事業を担っていたのではないか、ということをご提言されていた。
こう書くと、まるでゴルゴ13みたいな役回りだなと思うが、まぁそうだ。そういうあまり利益が得られないようなことをやっていたのだ。
それは植民地の宣教であったり、社会福祉活動であったり、貧民救済であったり、教誨であったりなどなど。
これらは、今なら当然と思うことかもしれないが、そこは林先生の専門分野である近世の宗教界と比較すると、そうでもないことがわかる。
近世の仏教は、近代のそれとは対照的に、国家権力(幕府)の支配を受けていたのである(今回出てきたのは、僧侶はこうあるべきですよという僧侶規程から、宗派を超えて対立してはいけないですよという没対外交流について)。
近代は国家の支配から(法制上は)抜け出すことによって、一方で国家の周辺事業を担っていくのであった…、という刺激的なご講演だった。
かくいう自分も今日、ようやく日本近代仏教史研究会の雑誌『近代仏教』に投稿する論文を書き上げ、提出した。
査読によって要修正が入ったところを直すだけの作業であったが、これがなかなかしんどい。
なんでかというと、自分の文章を見直すのが本当につらいのだ。
論理構造の不備とか、言い回しがおかしかったりとか、つい最近の自分なのに恥ずかしくなる。
とか書いている自分も、未来の自分に笑われるんだろうな。
そんなこんなでとりあえず一段落。
2月は研究会発表2つ論文1つ、あとは調査にバイトとかあって大変。
とか思ったけど、思い返すと長期休業中の院生としては実に普通だな。