さらば思い出の地

24日〜28日まで、実家に帰省した。
特に帰省の理由も無かった。
正月はゆっくりできなかったので、今回は人とも会わず家でゴロゴロしようかなと。
家にいる結果よく父の目に留まり、毎日寺の手伝いをすることに。



うちに帰ってみて改めて寺務の忙しさを痛感。
管理するものが多い多い。
特に感じたものが、戒名管理。
今は、というか既に「寺」もデータ化の波に飲まれている。



また、毎日のお檀家さん回りもなかなか汗をかく。
挨拶して家に入って仏壇の前に座ってお経を読むのは、ずっとやってきたから特に緊張はしないが、その後のお茶を飲みながらのトークが一番気をつける。
もう23歳であるし、もちろんプロの僧侶としての自覚もある。
今までの子どもとしてのお話ではなく、教義がどうだの宗祖がこうだのという話を常々したいと思っていた。
しかし、やはり天気などの日常会話に落ち着く。
会話の割合が相手が9しゃべって、自分が1相槌を打つなんてざらにあった。



だが、それもいいかなと思った。
老齢の夫婦のみの家、一人暮らしの家がこれからも増えていく中、確実に月に1度以上は家に上がって親類以外で話せる人なんてのはそういないのではないかと思う。
そのような定期的に訪問するという機能は、これからの団塊世代が退職してさらに高齢化が進む時代にとって必要になる。
その機能をすでに定着している、「坊さん」は今後の地域コミュニティ、あるいは老人福祉で見直していかなければならないかもしれない。



さて、話が寺のことだけになってしまったが題名は、自分のいわば幼少時代から青春時代までお世話になった場所のことについてであった。
地元の人でこの写真を見ただけでどこかわかる方がいるだろうか?(要クリック)







そう、駅前の旧ダイエーの建物が無くなっていたのである。
実家に近かったこともあり、毎日通っていたときもあった。
部活帰りに200円くらいの学割ラーメンを食べに行ったこともあった。
好きだった子と待ち合わせをしたこともあった。
最後は、教育実習で教えた生徒と○○を買いに行った。

なぜか急に地元が寂れていくような感じがしてとても悲しかった。
この跡地を今後何に使っていくか、見守って行きたい。



※テンプレートを変えました。
 今までのよりは見辛くはなくなったかな。