関心と対象(2)

本来修士の2年は提出義務は無いが、一度自分の問題関心について言語化してみたかったので、A4一枚でまとめてみた。
なにか疑問点等があったら、何でも言っていただければ。




Aが問題関心、Bが研究指針、Cが研究材料、Dが研究意義として緩やかに分類している。




A.日本においての「生命倫理と宗教」をテーマとして研究を進めて一年、当初考えていた「宗教の力によって生命倫理に何をもたらすことができるか」を「生命倫理言説が宗教にどのように影響をもたらしたか」に力点が変化した。それは、前者を研究するためには、後者が前提ではないかという思いが強くなったからである。
つまり、生命倫理というのは現代社会(特に現代医学界)の要請によって作られた概念であり、現代社会を象徴している一つだと考えるからである。なぜならば、移植医療によって今まで救われなかったいのち(ここでは「生命そのもの」と「生命の質」の両者を含む)を救うことが可能になったことが生命倫理の起因ではないかと思うからである。生命倫理とはそのようないのちを扱う技術について、社会的な合意を得るということを目的として作られた概念である。
よって、医学を主とした自然科学の考える生命倫理と、倫理道徳を考えることも1つの方向性である宗教学が属する人文科学の考える生命倫理とは、生命倫理に対して求めるベクトルが真逆と言っても過言ではない。前者を、法整備を目的とした「革新的(広げる)生命倫理」とするならば、後者を自前の文化に正当性を求める「保守的(狭める)生命倫理」と定義できる。この目的の乖離を両者は意識してはいないと考える。よって、宗教に求められるのは後者の問題であり、言い換えれば「宗教はいのちを扱う専門分野」としての存在意義を提示することである。しかし、これでは科学と宗教は対立しやすくなる。これを克服する、あるいは克服できるか否かということを研究に対する関心として持つ。
B.そのような研究をするためには、まず生命倫理が勃興した背景、経緯を丁寧に検討することが求められる。現在考えられうる生命倫理問題は、生命倫理の入門書を見る限り並列的に提示されている。
しかし自身は、生命倫理問題をそれぞれ個別な問題として列挙されているという現状に疑問を持つ。なぜ生命倫理が起きたかを考えてみるに、やはり移植医療とは離せないからである。これを仮に「現代的生命倫理(移植倫理)」とすると、「古典的生命倫理(生殖倫理)」には中絶が挙げられ、つまり以前より人類の課題となっている生殖を絡めた生命倫理問題をそのように定義する。代理母は「古典的生命倫理」と「現代的生命倫理」が組み合わさった結果と考える。そして、もう一つ現在挙げられるのが再生医療や遺伝子操作、エンハンスメントなどである。これを「未来的生命倫理(再生・強化倫理)」として分類できよう。このように生命倫理言説を考察し、バラバラだった諸問題を大きな幹の枝葉であるため、自身がまず行うべき研究は幹についてであると考えている。
C.扱う材料としては、生命倫理関連の書籍であり、それらを時代ごとに追っていくことが必要ではないかと考える。また、現代起きている生命倫理問題(たとえば病気腎移植など)から起源までさかのぼるという方法も重要ではないかと思う。つまり、この2つのベクトルを利用し、いかに宗教や現代社会と組み合わせて論文にするということが自身の最大の課題であると言える。そこで必要な視点は、今まで人類が形成し続けた生命観・死生観に着目することであり、科学技術によりいかにそれらが変容されていくのかということをとい続けることである。
D.このような研究の意義は、宗教学的に未整理である生命倫理言説を整理し分類するということが必要であると考える。なぜなら、「宗教の力によって生命倫理に何をもたらすことができるか」ということを検討するにあたり、適切な方法論が確立していないという課題が遅々として解決されていないからである。現在宗教側から生命倫理に対して出来うることは、各宗教の生命観を提示し現在の医学主導の生命倫理的生命観との比較をすることのみである。自身はそれを生命倫理に対する宗教の周回遅れとして見ている。よって、なぜ生命倫理に対して宗教が物申さなければいけないのか、生命倫理によって宗教がどのような影響を受けたか、などを考えることによって宗教を再考することを目的とする。