せんぱい


夕方から修士と博士合同の自主読書会が開催された。
主催は自分、司会進行も自分、発表も自分、とかなり先輩の権力行使的独断独行である(権威ではない)。


今読んでいるのは、これ。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

社会学歴史学でメジャー中のメジャーなこの本は、もちろん宗教学でも必須のアイテムである。


この本を3回に分けて読んでいく。
今回は2章の1節。
なぜ、禁欲的プロテスタンティズムが経済活動に結び付くか、ということが書かれている節である。
答えは、サクッと言っちゃうと、
禁欲的プロテスタントは「予定説」というすでに神に救われているという教義を持っている。
けど、本当に救われているかは本当は不安である。
その救済を確信するための方法として、禁欲的プロテスタントは「労働」をする。
労働は信仰の結果である。
禁欲的にただひたすら労働をすることによって神に救われる(のを確信する)のである。
よって、世俗社会において、経済活動の合理化を目指す(という姿勢)が禁欲的プロテスタントには求められたのである。
おしまい。


かなり適当に言い切ってしまったので、ちゃんと読んでください。
そして、ウェーバーがそこで用いている「理念型」の話もする。
しかし、自分自身でいまだ消化不良な理解だったので、かなりよくわからない説明に終始してしまった。
人に教えるということは、自分の理解が十分じゃないとできないものなんだなぁと痛感する。
先輩の面子やいかに。